昭和3年の生まれながら、“かくしゃく”として自由なひとり暮らしを楽しむ知人女性がいる。数年前に別の友人を通じて、その女性が大切にしているというLPレコードを渡され、カセットテープへ移し替えてほしいとの依頼を受けた。二つ返事で引き受けたのはよいけれど、所持しているオーディオセットにトラブルを抱えていて、当時は依頼に応えることができず仕舞いだった。
ずっと気にかかってはいたのだが、今年になって新しい機器を手に入れ、ようやくご希望にそうことができた。ついでにMDにも記録して、デジタルデータとしても取り込むことにした。
レコードの内容は、第31回創価学会本部総会における池田大作会長の講演録。
1968(昭和43)年という、今思えばまさに時代に刻印された感のある激動の年に語られたもの。「言論問題」も、宗門との抗争も表面化する以前、学会が旭日の勢いで急上昇を続ける時期の、自信に満ち満ちた池田会長の“雄叫び”。
同じ年の9月には、いわゆる「日中国交正常化宣言」が発表されたことでも、学会にとって時代を画する一年であったことがわかると思う。
この頃の学会は、会長に限らず、それこそ末端の無名会員にいたるまで、本気で近未来の「世界広宣流布」(=一人の犠牲者もつくらない恒久平和の実現)を夢見ていたことが理解できるだろう。
現在では、すっかり自民党の露払い役に転じてしまったかのような学会・公明党だが、今の中枢幹部たちがこの講演を聴いたならば、果たして何を思うだろうか。
音声データそのものをアップするわけにもいかないので、代わりにレコードの付録として添付されている「講演全文」をテクストデータとし、以下、[上][下]の2回に分けて転載することにした。(文中にある画像はクリックで拡大します)(40歳の青年会長の発する音声をじかに聴いてみたいと思う向きには、録音CDを無償提供することも可能です。ご希望の方はコメント欄にでもその旨を記し、「非公開」boxにチェックを入れ投稿してください)若き世代で 新しい舞台開こう第31回創価学会本部総会 池田会長講演全文(LPレコードより)
五月の花曇りの本日、ここにもったいなくも、総本山より日達上人睨下のご来臨を賜わり、また多数の御僧侶、ならびに近しい来賓をお招きいたしまして、一騎当千の代表幹部の皆さま方と共に、第三十一回の本部総会を、楽しく、たくましく挙行できましたことを、私は心から感謝申し上げるものであります。ありがとうございました。
本年は、昭和四十年より四十七年の七年間にわたる第六の鐘の、ちょうど四年目に入ったわけであります。したがって本年を境として、いよいよ後半戦に入ったことになります。私も更に勉強し、元気で広宣流布の新しい舞台を切り開いてまいりますので、ご支援をよろしくお願いいたします。
このときにあたり、私は恩師戸田先生が、立宗七百年に詠まれた「
恐るるな仏の力は偉大なり 若き血潮にたぎらせて立て」また「
信ぜかし偉大の力は御仏ぞ 祈りのかなわぬ事はなきなり」との歌を思い起こすのであります。
今まさに、日本の広宣流布の爛熟期を迎えんとし、私共は、更にこの恩師の歌の通り、青年の若々しい信心、情熱、英知をもって、新しい時代の新しい建設者として、思い上がった、邪悪な既成勢力の厚いカベに断固挑戦してまいろうではありませんか。
十月十二日に正本堂の着工式 まずはじめに、総本山の現況について申し上げます。正本堂建立は、既に昨年十月十二日に発願式をとりおこない、更に本年二月十六日には、墓地の御遷座法要を行なって、現在、新墓地の造成工事を着々と進めております。
これは八月一杯で完了し、九月中には納骨堂をはじめ全墓地の移転を終える見通しとなっています。
この墓地移転工事と並行して、墓地のすぐ横を流れている御塔川の河川付け替え工事も進めてまいります。そして昨年の建立発願式から、一年経た本年の十月十二日、整備の完全に終えた正本堂の敷地において、事実上の着工式をおこなうはこびになったことを、ここに皆さん方に、つつしんでご報告申し上げます。
この正本堂の建設は、ご承知のごとく、ジョイント・ベンチャー方式がとられますが、この工事を行う六つの建設会社には、本年六月末に、最終的な正本堂の青写真を渡す予定になっております。
それから四年、昭和四十七年十月の完成を目指して、世界平和の洋々たる黎明を告げる法華本門の大戒壇が、建設されていくわけであります。各人が、どうか、我が身の無量の福運と、我が身の使命の達成せんことを最大の誇りとして、更に朗らかに、そして威風堂々と、人生を謳歌しながら、新社会の建設に前進してまいろうではありませんか。
なお私は、去る昭和四十年五月三日の本部総会で、総本山大石寺の土地が、過去五年間に十二万坪から、六十四万坪にふえた旨を、ご報告申し上げました。その後、三年を経て、昭和四十三年度現在では、実に百六万六千六百八十二坪になりましたことを、あわせてご報告申し上げるものであります。
また寺院の数は、本日までに三百六か寺に発展いたしましたことを、共にご報告申し上げるものでございます。私達は、満六十六歳の誕生日を迎えられ、ますますご健勝であられる六十六世日達上人睨下のもと、更に総本山にご報恩の誠を尽くし、また寺院建立五百か寺の目標実現に、全力をあげて歓喜のご奉公をいたすことをお誓い申し上げようではありませんか。これだけのご奉公に邁進する信者一人一人を、正宗の僧侶は、全力をあげて大事にしていただきたいことも付言しておきます。
創価大学、四十六年開校めざす 次に、すでに聖教新聞にてご存じとは思いますが、創価大学の設立を、当初の計画より一年早めて、昭和四十四年四月二日の起工、そして昭和四十五年中に第一期の工事を完了し、昭和四十六年四月の開校の目標で進めてまいりたいと思いますが、本日、皆さん方の賛成があれば正式にこれを決定させていただきたいと思います。賛成の方は手を上げて下さい。それではこれで満場一致で可決します。
創価高校は、去る四月八日に第一期生の入学式を行なって、輝かしい栄光へのスタートを切りました。この新入生が三年間の高校生活を終えるのが、ちょうど昭和四十六年三月になります。もちろん、創価大学ができたからといって、創価高校の卒業生が全員、創価大学に進学するとはかぎりません。総合大学としての構想は、規模も大きいのですが、最初は文科系の学部を設置し、学生数も、少数精鋭でスタートし、そして遠い将来、徐々に理工科、医学部等を増設し、拡大していきたいと思っております。したがって最初は理工学部、あるいは医学関係を目指す人は、創価大学へ入ることはできないわけであります。
いうまでもなく、教育は、次代の日本を、世界の動向を決定していく、最も重要な事業であります。しかし、これまでの我が国においては、政治家や指導者達は、あまりにもこの問題に対して無関心であった。のみならず、かえって教育を政争の具にしようとして、種々の干渉が強化されていく前兆すら見受けられるのであります。このままでいけば、大学教育はますます権威を失墜し、混乱し、無力化していく以外にはないと私は心配しております。
◇ ◇
ここに、理想的な教育のあり方を具現し、ひいては、教育界の姿勢を抜本的に正していく資格と使命をもったものこそ、初代牧口会長、戸田前会長よりの深い思索と実践の伝統に生きた我が創価学会であり、創価大学であると確信せざるをえないのであります。特に大学は、一国の文化の母体であり、民衆の精神文化の結晶でなければなりません。現在、名実ともに世界的な大学といわれているイギリスのオックスフォード大学、ケンブリッジ大学、フランスのパリ大学、アメリカのハーバード大学などは、いずれもキリスト教、神学の研究を中心にして創立されたものであります。
もとより、歴史の経過と共に学問の自由が確立され、自然科学、人文科学、社会科学等の多方面にわたる学問の進歩の結果、現在は神学研究は影がうすらいでおります。だが、こうした宗教的精神の伝統は、今なお、大学構内に教会堂が設けられている事実、学生達が食事の時間には、全員で祈りを捧げるという姿のなかに、厳然と残されているのであります。キリスト教に対する宗教批判の問題は別として、ヨーロッパの大学がいずれもそうした精神的支柱をもち、崇高な理想を追求する使命感に貫かれてきたことは事実であり、そうしたなんらかの精神的支柱があってこそ、真の大学といえると思うのであります。
ひるがえって、我が国の大学の歴史をみるに、ご承知のごとく、代表的な大学は東京大学でありますが、その前身は旧幕府時代の洋学の中心である開成所と医学所でありました。それが維新後、政府直轄の教育機関として復興され、明治十年には合併して、法学、文学、医学、理学の四学部で東京大学となったわけであります。その目的は、徳川三百年の鎖国による遅れを取り戻すために、西欧文明を急激に吸収し、国家のために働く人間をつくりだすことにあった。したがって、本来の大学の崇高な理想精神とは、はるかに遠いものであったといわざるをえないのであります。
この東大創立の後進性は、現在の東大にも依然として根強く残っているという学者もおります。私は東大を出ていないのでいうのでは決してありません。その後できた他の大学にも同じようなことが、広く深く浸透しているといわれておるのであります。現在の大学教育の限界を、私はここに見るのであります。
二十一世紀への人材を育成 もとより、大学が社会に貢献し、世界の進歩、発展に役立つ人材を育成することを目指すのは当然であります。大学といえども、社会、国家の現実から遊離したものであってはならないことは、いうまでもありません。だが、真に役立つ人材とは、単に知識や技術に優れた人間ではない。それだけであっては、国家社会の巨大なメカニズムの一部を構成する部品にすぎない。真に望まれる人材とは、高い理念をもった、優れた人格者であり、豊かな個性をもち、技術、学術を使いこなしていける創造的な人間であると考えますが、いかがでありましょうか。
ここに、日蓮大聖人の立正安国の精神、色心不二の大哲学を根底とした創価大学を、私共の手で設立することの意義が、いかに大きいかということを、知っていただきたいのであります。
ただ、いかなる大河といえども、源をさかのぼれば小さな流れであります。松下村塾も小さな私塾でありました。しかし、吉田松蔭の教育は、明治維新の動向を決定したのであります。創価大学も最初は少数精鋭で、間口もあまり広げず、着実に、堅実に、基礎を固め、十年、二十年、五十年先を目指して建設を進め、そして二十一世紀への学術、知性、理性の開発に貢献できる人材育成の学府をつくりあげることが、最も私は正しい行き方であると思っております。
明治百年とは“世代の交代”を示す 本年の初めにあたって、総本山でも申し上げましたが、今年は、近代日本が黎明を迎えた明治元年、すなわち一八六八年より、ちょうど百年目にあたっております。
この百年間の歩みを、どう評価するかという問題については、さまざまな立場から、種々の論議があると思います。だが、私がここで述べたいことは、この百年という一つの大きい節を迎えて、日本民族はこれから先、いかなる道を歩むべきか、いわゆる曲がり角に立っているといわれる、現時点を、どうとらえるかということであります。
ご承知のように、今、明治百年の論議を表に押し出して、復古調的な、反動的な機運を盛り上げ、右傾化の道をたどろうとしているのが、保守政党であります。それに対し、この呼びかけを打ち破る論拠が、革新政党にはない。その一つの理由は、これら革新諸政党の最高幹部が、いずれも明治人によって占められていることであります。
歴史の曲がり角にさしかかっているといわれる現代の状況について、私なりの考えの一端を述べるならば、その変貌しつつある実態とは、単に政治面だけでもなければ、単に、教育面だけでもない。日本の文化それ自体であり、その文化の根底をなす思想、哲学であります。すなわち、あらゆる文化の担い手が、明治的思想によって生きた古い人々より、戦後の新しい民主主義によって成長した、新しい人々に移りつつあることを意味していると思うのであります。明治生まれの人にはすみません。きょう一日、かんべんして下さい。
私は、この実態を“世代の交代”であると申し上げたわけであります。学会の主流は、昭和生まれの青年であります。公明党議員も、大部分が昭和生まれ、または大正生まれの人々であります。更に学会には、学生部、高等部、中等部と続いております。
この若き、生き生きとした生命力こそ、真の革新であり、未来の日本の希望あふれるリーダーシップの象徴であると共に、新しき文化の興隆の力であると、私は確信していきたいのであります。
およそ文化とは、人間生命の開花であり、祭典であり、人間の心の中に高まる英知、情熱、感動を具現した、価値創造の活動それ自体であります。かつまた、それによるあらゆる資産を意味するものであります。
妙法の種を民衆の生命に植えよう したがって、文化の本質は、人間生命、精神の開発にあることは、当然なことになるのであります。「文化」を英語で「カルチャー」というのも、「耕す」という意味であり、人間の心を耕す、その耕された、そしてまた成長した人間精神が、今度は外に向かって働きかけ、未開発の分野を耕して価値を生み出していく。そこに、文化の伝統と意義があることを象徴しているのであります。
そして、この人間の心を耕し、開発する思想、哲学を、宗教というのであります。
トインビーが「マルキシズムは宗教である」と断定しているのも、善悪は別として、マルキシズムも宗教と同じく、マルキシズムなりに人間精神を変革し、作り上げる作用をもっていることを指して、このようにいったと思うのであります。
今、明治以降、大正、昭和の戦前までの日本を考えてみますと、指導者は、民衆の心を国家主義のスキで耕し、神道の種を植えつけていったということができるのであります。だが、それらの理念は独善であり、利己主義であり、世界に通ずる理念ではなかった故に、遂に敗戦という破局を招いたのであります。
戦後、日本は民主主義国家として、いくら新しく生まれ変わったと叫んでも、その指導的任務につき、リーダーとなったのは、みな明治人であった。これでは、中身はそのままで、外側のレッテルだけ変えたのと同じであったといわれてもやむをえない。
新しき建て物は、新しき材料でつくらなければならない。私は、新しい日本の文化は、新しい理念をもった、新しい世代が、一切の中枢となって創造し、改革し、担っていく以外に断じてないことを主張するものであります
しからば、この新しき理念、哲学、思想とは何か。私はこれを結論していうならば、日蓮大聖人の色心不二の大生命哲学であり、独一本門の大仏法哲理なりと主張したいのであります。
御書にいわく「
法華経は種の如く仏は植えての如く衆生は田の如くなり」
(曽谷殿御返事 p.1056)と。
人間生命の限りなく豊かな活力を発揮し、未曾有の大文化の花を咲かせていく根源は、妙法の種を、民衆の生命に植え、仏界、仏の生命という、本然の力を伸ばしていく以外にない。これは、抽象論でも、観念論でもなく、現実に一千万の人々が如実に証明しておるではありませんか。
全民衆の基盤に立った大文化を よって、偉大なる文化は、偉大なる宗教の土壌があって、初めて芽生え、成育し、豊かに実を結ぶものなのであります。過去にも、釈迦の仏法を根底として、インド、中国、日本、または東南アジア諸国に、幾多の文化が栄えてまいりました。
特に、日本文化の最初の黄金時代を現出した、天平、白鳳、飛鳥文化は、大陸より移入された仏教が、その源泉であったことは、有名な事実であります。くだって、貴族文化の極致を示した平安朝文化もまた、像法の法華経迹門の広宣流布を土壌として開花したものであります。
今日、世界の大半を風靡している西洋文化も、キリスト教を根底にした文化であり、その他、アジア、アフリカにまたがって、イスラム文化圏があり、東南アジアには小乗仏教による文化が根強く残っております。しかし、現在において、キリスト教、イスラム教、小乗仏教等は、いずれも、もはや青年の心を開発するなにものをももたぬことは、明白になってきてしまいました。ただ、大乗仏法にのみ心をひかれて、これを求める機運が、欧米の青少年の間に高まっていることは、三大秘法広宣流布の時きたる感を深くするものであります。
現代は大衆の時代であります。過去の小乗迹門の文化は、王侯貴族や僧侶の文化であった。キリスト教を根底とする西洋文化も、しょせんはブルジョワ文化にほかならない。マルキシズムは、これをプロレタリアートの手に移そうと意図したが、結果は、党及び官僚の、新たなる特権階級を助長したにすぎないようである。
所詮、全民衆の基盤に立った、永遠に崩れざる大文化は、生命を奥底より開発する日蓮大聖人の三大秘法の仏法を根底として、初めて樹立されると私は思うのであります。すなわち、我らが提唱する第三文明こそ、二十一世紀への人類文化の新しき潮流なりと、私は確信したいのであります。
核保有国よ一堂に会して平和会議を開け 現在、ベトナム戦争は、わずかながら和平の気配を見せ始めておりますが、本当の意味での終結には、まだはるかに遠い感があります。
いわんや、戦場はベトナムだけではない。中近東にも、ベルリンにも、朝鮮にも、いつ火をふくかわからない戦争の危機がひそんでおります。ある軍事評論家は、仮にベトナム戦争が今すぐ終ったとしても、おそらく今度は朝鮮で再び戦争が始まるだろうともいっております。
世界は、あまりにも不安定であり、破滅的危険が充満しております。こうして、通常兵器による戦争、抗争が行われている最中にも、頭上には恐るべき核兵器が、ダモクレスの剣のようにじっと待機し、全人類の生命を一瞬に奪い去ろうとしているのであります。この点については、小説「人間革命」のなかで縷々書いておきましたが、人類はもはや、戦争と平和の問題について考える場合、何よりもこの核兵器の存在を無視することは、絶対にできないのであります。
したがって私は、平和への提言の第一として、米、英、ソ、仏、中の核保有五か国は、早急に一堂に会して、核兵器の製造、実験、使用を禁ずること、ならびに現在保持している核兵器を廃棄することについて、真剣に話し合いをすべきである。そして、この会談実現のために、最初の被爆国、我が日本は、平和を願う全民衆の総意を結集し、リーダーシップをとっていくべきであると訴えたいのであります。
これまでも、米英ソの、いわゆる核兵器先進国の間では、一九六三年に部分的核実験停止条約という、核に関する条約が取り決められております。だが、その条約のねらいは、核を、これら先進国の独占物としようとしてものでありました。また、現在、国連を舞台にして、米ソのリードで、核拡散防止条約という、一部の核兵器保有国に一方的に有利な不平等条約をめぐり、討議が行なわれております。
しかし、こんな中途半端なものではなく、今度は、全保有国が集まり、更に、そこに世界の原子物理学の権威者等も交えて、平和のために話し合ってもらいたい。
私は、これこそどんなに優れた兵器を開発し、装備し、あるいは集団安全保障体制をつくるよりも、はるかに抜本的で間違いのない、自国の安全保障に通ずる有意義な仕事であるといいたいのでありますけれども、皆さん、いかがでしょうか。
現在でも、戦争については幾つかの取り決めがなされております。例えば、毒ガスや細菌等を使用してはならないとか、捕虜を虐待してはならない等は、国際ルールとなっています。これと同じように、なぜ核兵器禁止の申し合せをしないのか、こういいたいのであります。
生命の尊厳を守り真の恒久平和を 戦争ほど悲惨なものはないし、しかもたとえ勝ったとしても、決して得をすることはないのであります。このことは、現在のヨーロッパの国々を見れば明瞭であります。
欧州において、今、最も繁栄しているのは、第二次大戦で敗れたドイツであるといわれております。最も惨めなのは、戦勝国のイギリスであります。
また、戦争に直接関係しなかったスイス、デンマーク、スウェーデン、なお一時、ナチに占領されたとはいえ、ノルウェーなどは、ひたすら国内の充実に力を注いで、恵まれた福祉国家をつくっております。イギリスにせよ、フランスにせよ、第二次大戦では勝ったものの、その後もエジプトや、アルジェリア、インドシナなどで、植民地維持のため民族主義弾圧の戦争を行ない、莫大な国費を注ぎ込まなければならなかった。それが、大きい疲弊の原因であるともいわれております。
今、アメリカもまた、ベトナム戦争に膨大な金を注ぎ込み、国際収支の悪化から、ドルの権威の著しい失墜を招いていることは、周知の通りであります。こうした戦争の経済性の問題はともかくとしても、我々仏法の立場から、生命の尊厳を守るために、断固、戦争を排除し、真実の恒久平和を樹立することを強く訴えきっていこうではありませんか。
ここで、私は生命の尊厳の問題について、その理念を明らかにしておきたい。およそこの世において、生命ほど尊いものはないし、いかなる財宝といえども生命なくしてはなんの価値もない。しかるに、人類数千年の歴史をかえりみるときに、まさに弱肉強食の闘諍
(とうじょう)の反復であり、平和を願い、生命の尊厳を叫ぶ声は、ことごとく無残にも踏みにじられてきたのであります。
これでは人類の姿は、今日なお畜生界の境涯から一歩も出ないといわざるをえないのであります。たしかに人間はち密で、創造性に富んだすばらしい頭脳をもっている。また、幾多の発明、発見をもって、生活の向上をもたらしてきたことも事実でありましょう。
だが、その反面、優れた頭脳が残虐な殺りく手段を生み出し、遂には人類三十数億を一瞬にして抹殺する核兵器をつくりだすにいたったのであります。
これこそ、土台となる人間の精神面が全く貧弱であり、未開発のまま、その上に巨大な建造物を次々とつぎたして建てていった悲劇であるといわざるをえないのであります。二度にわたる世界大戦で、ほとんど全世界に及んだ殺りくと破壊の悪夢は、このゆがんだ文明の一つの現われであったと思います。
かくして現代は、かつてないほど、広く真摯に人間生命の尊厳が叫ばれるべき時代となったのであります。
もとより、人間性の尊重は、古今、幾多の賢人、聖人によってうたわれてはきました。しかし、それらはごく少数の人々にしか浸透せず、時代を動かす力ある思潮とはなりえなかった。信仰上の対立、民族間の反目、あるいは階級対階級の憎悪と葛藤のアラシのまえには、たちまち吹き飛ばされてしまったのであります。
([下]につづく)