2016年 02月 22日
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([1]からの続き)
勝手に堕落した日蓮正宗が悪い
池田 「政権をとる」ということは明確にいっていない。しかし、なんにでも目標はあるものです。相撲でも野球でも、目標としては全勝しようとするわけでしょう。
田原 その目標はどうなりましたか。
池田 昭和四十五年に政教分離を宣言したから、関係ないです。
田原 もう「王仏冥合」という目標はない、と。
池田 「王仏冥合」という思想を放棄したわけではありません。「仏法」「慈悲」を根底にするという意味ですから。公明党だけではなく、自民党も、社会党も、共産党も、その出発の根底には、それなりの原理・原則たる哲学、思想、理念があったはずです。ただし、もはや公明党は新進党に移行しているし、その新進党の目標に向かっていけばよいのではないですか。
田原 それにしても、昭和五十四年に池田さんが会長職を退いて、名誉会長になったことは、偶然の一致といいますか、不思議な話ですね。
池田 いい区切りでしたね。
田原 やめられたときの感想は。
池田 ほっとしました。「これで自由になる。体も楽になる。女房たちともゆっくり旅行できる。子供とも団欒ができる」と、いろんな点でほっとしました。
田原 しかし、現実にはぜんぜん楽になってない、家族との団欒も実現していないのではないですか。
池田 まあ、それも運命です。
田原 ところで、普通の会社では、名誉会長は文字どおり名誉職です。創価学会名誉会長とは、どんな役割なんですか。
池田 名誉職ではないことだけは事実です。会則の第二章に「名誉会長を置くことができる」とあります。その役目として「信心指導」「布教」「会員の擁護・育成」が含まれています。仏法者であるからには、役職にかかわらず信仰し、布教しなければならない。仏法を実践することこそが根本であって、役職は手段です。
田原 会長と名誉会長とは、どう違うんですか。
池田 会長、理事長の役割は、創価学会じたいの統括ならびに運営です。私はインタナショナルの会長ですから、日本も含めて全世界の会員の指導・育成・布教、全般にわたるわけです。
田原 創価学会の基本方針は、名誉会長が決めるんですか。会長が決めるんですか。
池田 会長です。会長中心の総務会です。
田原 会長の決めた方針を、池田さんが「違うな」と思った場合はどうしますか。
池田 そのときには話し合います。一つの明確なる目標に進んでいれば、話し合っていけばわかりあうものです。
田原 世間では、池田さんは創価学会のカリスマ的独裁者だと言われてますね。
池田 ああ、そうですか。
田原 ご自身でも、カリスマ的存在だと思いますか。
池田 思ったことありません。よく意味がわからない。
田原 しかし、会員の方は、会合などでも、会長よりも名誉会長にきてほしい、という声が多いのではないですか。
池田 そうでしょうか。ともかく、人々は、役職ではなく、誠実さ、明快さ、責任感をもった人格的魅力のある人についていくものです。いわゆる人気のある幹部は、会員から慕われ、会合にも要請されています。戸田会長は、幹部を任命するときは、会員が「この人ならば」と思う人を任命するようにすべきだと厳しくいわれていた。たとえ選挙で選んでも、この人なら選ばれるという人々を任命すべきである、と。
団結が強いので、たまに「全体主義だ」なんていわれることがあったが、この人間の社会はそんな単純なものではない。いわんや何百万の人間の集合体です。それぞれの意見もあり、個性も違う。職業も違う。簡単に従ってくるものではない。しかし、団結は他のいかなる団体でも、会社でも、願望しているのではないでしょうか。
田原 ところで、今の創価学会は、僧侶抜きの団体です。しかし、学会が大きく成長した時期には僧侶がいました。成長してからお坊さんがいなくなった。これは、どういう理由ですか。成長したから必要なくなったわけですか。
池田 その問題は次元が違う。釈尊も最初から僧侶ではなかった。僧侶が誕生したのは、あとからです。牧口会長も戸田会長も日蓮正宗の信徒でしたから、信徒として僧侶を外護していました。ところが、僧侶のほうが、お金がたまり、傲慢になり、信徒を蔑視するようになった。学会は、正本堂、大講堂、大客殿をはじめ、三百数十ヵ所の寺院を建ててきた。また、総本山をはじめとして多数の末寺と僧侶を養ってきた。仏教史上、こんなに尽くした団体はないと思う。
田原 つまり、創価学会が、あまりにもお坊さんに尽くしすぎた……。
池田 そう。現実にご奉公してきた。最大に尽くしてきた。で、彼らが勝手に堕落したんでしょう。
田原 創価学会がお坊さんを堕落させたとはいえませんか。
池田 とんでもない。僧侶には僧侶の本分があります。衆生済度、信徒を大切にする。布教をする。修行する。慈悲の心がなくてはならない。堕落するほうが絶対に悪い。
田原 勝手に堕落したわけですか。
池田 そのとおり。勝手に堕落したんです。「御供養を持ってこい」という彼らの要求に、どれだけの貧しい庶民が懸命に応えてきたか。その大恩を忘れて、一方的に破門するなど、僧侶のやることではない。人間のなすことではない。前代未聞の悪行として歴史に残るでしょう。
田原 週刊誌などが、創価学会のお金の集め方がひどすぎる、とよく記事にしていますが、これはお坊さんにあげるために、やむを得ない部分があったわけですか。
池田 宗門に莫大な供養をしてきたことは事実です。学会には、戸田会長からの伝統として「財務」という制度があります。「ご供養」という言葉を使ってはいけないと宗門から厳命されたので、「財務」という名称になったのです。これは、間違いなく立派な信仰を続けてきた人の中から一口一万円で、年に一回、銀行振り込みの方式で出していただいている。決して強制ではなく、「財務」をするもしないも自由です。
その浄財で、会員のために、国内、国外に一〇〇〇以上の会館や施設を作ってきました。また世界での文化、教育の興隆や、平和運動の支援等にも使用しています。ともかく、戸田会長は、人事の乱れ、金銭の乱れは、一切を混乱させ、滅亡させてゆくといわれ、私たちは厳正に守っております。
なぜ創価学会は叩かれるのか
池田 何とも思いません。目的がよくわからないから。したがって、何も発言していません。まあ、向こうが一線を画しても、こちらは画してはいない。われわれは、日本が平和になり、日本人全部が幸せになれば、それでいいんですから。
田原 こんな会ができた理由はなんだと思いますか。
池田 こちらが聞きたいくらいです。心が小さいのでしょうね。焼き餅というか、「自分たちの勢力を維持したい」「新しい勢力の勃興をなんとか押さえたい」という利害からではないですか。
田原 四月会の人たちは、憲法二十条(「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」)を問題にしています。「公明党は、立法権という権力を行使している。これは憲法違反だ」というわけです。
池田 それは理屈のための理屈です。すでに内閣法制局長官の見解で明快に否定されたのではないでしょうか。また、他の優秀な憲法学者や世界的な学者がそういうことを論じていますか。選挙の自由、支援の自由、立候補の自由、結社の自由があるわけでしょう。だから、四月会のいっていることは、まったく的外れ、浅ましい限りだと、一級の学者はいっています。だから、そんな会を恐れもしないし、私が反論するつもりも毛頭ありません。
田原 四月会をはじめ、創価学会や公明党を批判する人たちは、「政教分離といいながら、実は政教分離していない。本当は池田大作の意向どおりに公明党は動いている。いわば、公明党は池田大作の操り人形だ」と思っている人が多い。この点はいかがですか。
池田 思うことは自由です。しかし、これだけの大勢の人々を自由に操れる人間なんて世界にいませんよ。落語みたいな話です。また、支援者が支持政党に意見をいったからといって、それが憲法違反になるのか、それが政教一致になるのか。そんなばかばかしい話はどこにもない。まったく社会通念に反する。
田原 昨年五月二十四日、羽田政権の時代ですが、衆議院の予算委員会で、亀井静香さんが、こんな質問をしています。九三年夏の細川内閣の発足時、池田さんは軽井沢で開かれた創価学会本部幹部会で、「公明党から大臣が出ようとしている。大臣は皆さんの部下です」と発言された。「これは公明党が創価学会に支配されている証拠だ」と。
池田 いい話じゃないですか。議員や大臣は公僕でしょう。主権在民だから、大臣より国民のほうが偉いのは当然だ。田原さんは、大臣のほうが上で国民が部下だと思われますか。大臣だって自分の選挙区にいけば、選挙民に最敬礼しているではありませんか。(笑)
田原 池田さんは「公明党閣僚は創価学会の幹部の子分だ」という意味で、そういったわけですか。
池田 とんでもない! 権力者のいいなりになっては絶対にいけないという意味だ。ともかく議員や大臣を先生よばわりして偉くさせすぎてはいけないと思う。いつも選ばれた人に威張られて、選んだ人がばかにされてはかわいそうだ。私は一生涯、庶民の味方として戦っているのです。
田原 当時、いくつかの雑誌が、もうやめたはずの、学会本部での出陣式をまだやっていると報じていましたね。
池田 いや、ないでしょう。
田原 間違いですか。
池田 間違いです。学会の何かの会合に、議員が挨拶に来たということのようですね。支持団体に挨拶に来ることは、自然ではないでしょうか。
田原 そういう報道がされるのは、「公明党は池田大作というカリスマ的独裁者に操られているに違いない」と思っている人が多いということだと思うんです。ご自身はどう思われていますか。
池田 意味がよくわかりません。
田原 では、なぜそんな悪口をいわれるんでしょうね。
池田 わからない。
田原 池田さんが偉すぎるからですか。
池田 よくわからない。書くと売れるんでしょうね。
田原 もうひとつ、宗教法人は非課税です。しかし、日蓮正宗から破門された創価学会は、もう宗教法人ではないから、課税しないのはおかしい、という意見があります。
池田 その議論は間違いです。課税するのであれば、全部の宗教団体を同じように課税すべきです。
田原 しかし、創価学会は日蓮正宗から破門されているから……。
池田 でも、学会はもともと独立した宗教法人です。
田原 しかし、日蓮正宗の信仰に従う前提での宗教法人であって、そこから破門されたらもう宗教法人ではないのではないですか。
池田 とんでもない。宗祖である日蓮大聖人を信仰しています。ゆえに宗祖直結の教団です。これが日蓮仏法の根本です。
田原 日蓮正宗は関係ないと。
池田 関係ない。日蓮正宗といっても一枝葉の宗派にすぎない。まったく筋違いの論議です。
田原 なぜそんなに創価学会は妬まれ、反発を食うんでしょう。
池田 日蓮大聖人もそうでした。釈尊も、法華経を広めれば「悪口罵詈(あっくめり)」されると説かれている。日蓮仏法にも「賢人・聖人も世間の留難はのがれず」とある。経文どおりに行じている証拠です。世界を見ても、ユダヤ教でも、キリスト教でも、イスラム教でも、想像を絶する迫害を受けてきています。
かつて、ある著名人が、「騒がれている間が花ですよ。善きにつけ、悪しきにつけ、騒がれるということは、大きく羽ばたいている姿です。だから風圧は当然大きい」といっていました。
田原 八〇〇万世帯という巨大宗教団体だから、反発を食うわけですね。
池田 そうでしょう。いまは軸のない歯車のような時代です。「あれになろう。これになろうと焦心るより、富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあげろ」という吉川英治の言葉がある。どう思われようが、どう見られようが、泰然と生きることです。時が一切を解決し、歴史が証明してゆくものです。
迫害は偉大な名誉であると仏法は説いている。叩かれないで、偉大な歴史を残した勇者は一人もいないでしょう。投獄、罵倒、弾圧、攻撃、それで生き抜いて、初めてその人は歴史的人物となり勝利者となってゆく。
公明党がなかったら楽だった
田原 ところで公明党が新進党に参加しました。ただし、参加したのは衆議院と改選される参議院の人たちです。参議院の非改選議員は「公明」として残り、参加しなかった。これは、公明党が二つに割れたということで、「創価学会は、新進党と自民党の二股をかけた」という論評が多いのですが。
池田 とんでもない。まったく関係ありません。大変な迷惑です。
田原 なぜ分かれたんですか。
池田 党の幹部に聞いてもらいたい。
田原 創価学会の名誉会長たる池田さんは、どういう感想をもっていますか。
池田 私は、イエスもノーも言わない。皆が立派に成長すれば、親元から巣立っていくものです。自由勝手にやっていいと思っています。
田原 私は新進党に入るよりも、公明党を解党したほうがいいように思いますが。
池田 そういう問題を論じられるようになれば、私だって気が楽ですよ。議員を出したばっかりに、「政教一致だ」とか、「権力を使って布教している」だとか、わが清純な創価学会が罵倒されている。私は自分でも大ばかだと思います。
しかし、私は会員を風雪から守る屋根だと思っている。これが、会長就任時からの信条です。たしかに、本当は公明党がなかったならば楽であったに違いない。
田原 公明党さえなければ、池田さんが攻撃されることもない。創価学会批判も、公明党があって、政権に参加したり、新進党とくっつくから出てくる。解党してしまえば、批判も出てこない。
池田 そのとおりです。だが、私が発言すれば、すぐに「政教一致」と大騒ぎになることは明白です。
田原 解党すれば布教もしやすい、と。
池田 しかし、そんな後ろ向きの議論をしても仕方ない。だから、論ずる必要もないし、時代の流れにそっていけばいいと思う。あとは、党が党として、どう舵をとるか、です。
田原 ところで、新進党の小沢一郎代議士に会ったことはありますか。
池田 ありません。
田原 小沢氏をどう評価していますか。
池田 牧口初代会長の遺言に、「認識せずして評価するな」という一節があります。会いもしないで軽々と論ずることは失礼ですし、噂や風評で人を判断することは危険だ、ということです。しいていうならば、人心の機微のわかる、和を重んじる政治家であっていただきたいですね。
なぜ世界に出掛けてゆくのか
田原 今後の創価学会の目標はなんですか。
池田 世界に仏教の思想を広めることです。
田原 外国の創価学会の会員と日本の会員と違いはありますか。
池田 言語や民族が違っても、心というものは通じ合うものです。兄弟のようなもので、違わないですね。
田原 仏教だから、アジアのほうが広めやすい、ということはありますか。
池田 アジアはかえって難しいですね。小乗仏教の国もありますし、それに日本のアジア蔑視もあって、日本に対する眼も厳しい。だから、とくにアジアに対しては、信義を重んじ、絶対約束を破らないようにしています。こういう原理原則を踏まえていかないと反発を受けます。
田原 池田さんは世界の学者・政治家によくお会いになっていますね。
池田 著名な方とは、かなり会っています。周恩来、鄧小平、江沢民、リー・クアンユー、スハルト、マハティール、ラジブ・カンジー、また国連のガリ、デクエヤル。さらにミッテラン、サッチャー、ヴァイツゼッカー、ハヴェル、ムバラク、コスイギン、キッシンジャー、ガルブレイス、ペッチェイなど、数多くの方々と平和のために対話してきました。
田原 とくに印象に残った人は。
池田 周恩来ですね。亡くなる一年前にわざわざ病院に呼んでいただき、「世紀末最後の二五年間、中国にとっても世界にとっても一番重要な転換期になると思う」と語られました。名優のごとく、言葉がわかりやすく、しかも深い。鋭さと温かさがある。ご夫妻の遺品もいただいています。
私は一度接した人たちには、信義だけは完璧に重んじていきます。ゴルバチョフとの対談は一年間連載します。その次は、南米チリの民主化の指導者エイルウィン前大統領と予定しています。対談集は、その国のためにも残りますからね。世界人権宣言を推進した、ブラジルの人権の父アタイデ氏との対談集も、先日完成しました。その他、平和学の創始者ガルトゥング博士など多くの学者とも、時間を見つけてはやっています。トインビー博士との対談は、一八の言語に翻訳されました。
戸田会長は「常に二〇〇年先を考えて行動せよ!」といわれた。また、「お前の舞台は世界だよ」と指導を受けてきた。本来、宗教の延長は、文化・平和・教育になるものです。そこに連動していかなければ、「人間のための宗教」ではなくして、「宗教のための宗教」となってしまう。ゆえに、この歴史的大河の流れにそって、創価学会は歩んでいきます。
二〇年くらい前、ある財界の首脳と懇談したときにも、「このままゆくと、日本は経済侵略呼ばわりされ、排撃される。文化・芸術の方面で手を打たないとまずい」という結論に達しました。その意味からも、ハーバード大学、ボローニャ大学、フランス学士院など、一流の知性の舞台で二十数回講演してきました。先日もハワイの東西センターで「平和と人間のための安全保障」のテーマで行ないました。今後の依頼も、南アフリカのマンデラ大統領が総長を務めるノース大学、またネパールの最高学府・国立トリブバン大学など、多数来ています。
これも自分のためや、自分の会のためではない。講演料をとっているわけでもないし(笑)。海外の識者は鋭いです。仏法は、いわば日本文化の精髄ですから、そのスピーチは日本への理解を深めます。
また、国連の支援や、それぞれの国に尽くしていることに対して、数々の賞を受けております。たとえば、グラスゴー大学、モスクワ大学、北京大学、フィリピン大学などの名誉博士・名誉教授の称号は三一。名誉市民も七〇を超えております。
これからも、時間の許すかぎり世界へ行く決心です。それが私の責任と使命だと思っておりますから。
追記
このインタビューが実際に行われたのはいつのことなのか。記事が公開されたのは95年の4月号であるから、雑誌が店頭に並んだのは公式発売日の3月10日以降のはず。95年には、1月17日に阪神大震災が、3月20日に地下鉄サリン事件が起こっている。オウム真理教がかかわった後者についてはともかく、震災に関してもまったく触れられていないので、おそらく94年の暮れ近くの取材ではないかと推察される。
同時期にもうひとつ、創価学会に対して長期にわたる取材を敢行していたグループがあった。
95年7月に「別冊宝島」シリーズの一冊として刊行されることになる、『となりの創価学会』の執筆者たちだ。彼らも本の目玉となるはずの、池田氏への直接インタビュー実現に向け躍起となっていたが、交渉相手であった学会広報室次長と称する人物は、言を左右し、池田氏を取材者の前にさらすことを頑なに拒否していた。そんなスッタモンダを繰り返している最中に田原氏のインタビュー記事が中央公論に掲載されたのだ。宝島社の関係者らが色めき立ったであろうことは想像に難くない。その辺りの顚末については同単行本巻末の「編集日誌」で明かされている。
震災とオウム事件の陰に隠れて、このインタビューはさほど注目を集めることにはならなかったようだ。だが、池田氏が表舞台から姿を消した20年後の現在、すっかり与党暮らしが板についてしまった学会公明党はこの先どこへ向かうべきなのか。それを考えるためにも、絶版となってしまった宝島社の本(図書館やネット古書店では入手可能。ただし初版の単行本に限る。文庫化されたものはカット部分が多すぎて、資料的価値は低い)と併せて、今こそ池田・田原対談を読み解く意味はある、と思う。
勝手に堕落した日蓮正宗が悪い
*昭和五十二年あたりから、創価学会と日蓮正宗の対立が激化した。もともと、創価学会は日蓮正宗とは別法人でありながら、日蓮正宗の教義と本尊を奉じる教団として出発した。そのかわり、学会は信徒として日蓮正宗を「外護」する――末寺を建設・寄進し、日蓮正宗の総本山・大石寺に安置された本尊を拝するたびに、ご開扉料を払ってきた。この対立が原因で、昭和五十四年に池田大作は会長を退任(名誉会長に就任)し、信徒総代を意味する法華講総講頭の座から下りた。創価学会と日蓮正宗の対立は平成三年になって再び表面化し、同年十一月、正宗は学会に対して解散を勧告した。平成五年、創価学会は名実ともに日蓮正宗から独立する。田原 昭和三十五年に会長に就任したとき、「七つの鐘」という目標をたてられました。七つ目の鐘として、「昭和五十四年に王仏冥合を完成させる」、つまり「政権をとる」といったそうですね。
池田 「政権をとる」ということは明確にいっていない。しかし、なんにでも目標はあるものです。相撲でも野球でも、目標としては全勝しようとするわけでしょう。
田原 その目標はどうなりましたか。
池田 昭和四十五年に政教分離を宣言したから、関係ないです。
田原 もう「王仏冥合」という目標はない、と。
池田 「王仏冥合」という思想を放棄したわけではありません。「仏法」「慈悲」を根底にするという意味ですから。公明党だけではなく、自民党も、社会党も、共産党も、その出発の根底には、それなりの原理・原則たる哲学、思想、理念があったはずです。ただし、もはや公明党は新進党に移行しているし、その新進党の目標に向かっていけばよいのではないですか。
田原 それにしても、昭和五十四年に池田さんが会長職を退いて、名誉会長になったことは、偶然の一致といいますか、不思議な話ですね。
池田 いい区切りでしたね。
田原 やめられたときの感想は。
池田 ほっとしました。「これで自由になる。体も楽になる。女房たちともゆっくり旅行できる。子供とも団欒ができる」と、いろんな点でほっとしました。
田原 しかし、現実にはぜんぜん楽になってない、家族との団欒も実現していないのではないですか。
池田 まあ、それも運命です。
田原 ところで、普通の会社では、名誉会長は文字どおり名誉職です。創価学会名誉会長とは、どんな役割なんですか。
池田 名誉職ではないことだけは事実です。会則の第二章に「名誉会長を置くことができる」とあります。その役目として「信心指導」「布教」「会員の擁護・育成」が含まれています。仏法者であるからには、役職にかかわらず信仰し、布教しなければならない。仏法を実践することこそが根本であって、役職は手段です。
田原 会長と名誉会長とは、どう違うんですか。
池田 会長、理事長の役割は、創価学会じたいの統括ならびに運営です。私はインタナショナルの会長ですから、日本も含めて全世界の会員の指導・育成・布教、全般にわたるわけです。
田原 創価学会の基本方針は、名誉会長が決めるんですか。会長が決めるんですか。
池田 会長です。会長中心の総務会です。
田原 会長の決めた方針を、池田さんが「違うな」と思った場合はどうしますか。
池田 そのときには話し合います。一つの明確なる目標に進んでいれば、話し合っていけばわかりあうものです。
田原 世間では、池田さんは創価学会のカリスマ的独裁者だと言われてますね。
池田 ああ、そうですか。
田原 ご自身でも、カリスマ的存在だと思いますか。
池田 思ったことありません。よく意味がわからない。
田原 しかし、会員の方は、会合などでも、会長よりも名誉会長にきてほしい、という声が多いのではないですか。
池田 そうでしょうか。ともかく、人々は、役職ではなく、誠実さ、明快さ、責任感をもった人格的魅力のある人についていくものです。いわゆる人気のある幹部は、会員から慕われ、会合にも要請されています。戸田会長は、幹部を任命するときは、会員が「この人ならば」と思う人を任命するようにすべきだと厳しくいわれていた。たとえ選挙で選んでも、この人なら選ばれるという人々を任命すべきである、と。
団結が強いので、たまに「全体主義だ」なんていわれることがあったが、この人間の社会はそんな単純なものではない。いわんや何百万の人間の集合体です。それぞれの意見もあり、個性も違う。職業も違う。簡単に従ってくるものではない。しかし、団結は他のいかなる団体でも、会社でも、願望しているのではないでしょうか。
田原 ところで、今の創価学会は、僧侶抜きの団体です。しかし、学会が大きく成長した時期には僧侶がいました。成長してからお坊さんがいなくなった。これは、どういう理由ですか。成長したから必要なくなったわけですか。
池田 その問題は次元が違う。釈尊も最初から僧侶ではなかった。僧侶が誕生したのは、あとからです。牧口会長も戸田会長も日蓮正宗の信徒でしたから、信徒として僧侶を外護していました。ところが、僧侶のほうが、お金がたまり、傲慢になり、信徒を蔑視するようになった。学会は、正本堂、大講堂、大客殿をはじめ、三百数十ヵ所の寺院を建ててきた。また、総本山をはじめとして多数の末寺と僧侶を養ってきた。仏教史上、こんなに尽くした団体はないと思う。
田原 つまり、創価学会が、あまりにもお坊さんに尽くしすぎた……。
池田 そう。現実にご奉公してきた。最大に尽くしてきた。で、彼らが勝手に堕落したんでしょう。
田原 創価学会がお坊さんを堕落させたとはいえませんか。
池田 とんでもない。僧侶には僧侶の本分があります。衆生済度、信徒を大切にする。布教をする。修行する。慈悲の心がなくてはならない。堕落するほうが絶対に悪い。
田原 勝手に堕落したわけですか。
池田 そのとおり。勝手に堕落したんです。「御供養を持ってこい」という彼らの要求に、どれだけの貧しい庶民が懸命に応えてきたか。その大恩を忘れて、一方的に破門するなど、僧侶のやることではない。人間のなすことではない。前代未聞の悪行として歴史に残るでしょう。
田原 週刊誌などが、創価学会のお金の集め方がひどすぎる、とよく記事にしていますが、これはお坊さんにあげるために、やむを得ない部分があったわけですか。
池田 宗門に莫大な供養をしてきたことは事実です。学会には、戸田会長からの伝統として「財務」という制度があります。「ご供養」という言葉を使ってはいけないと宗門から厳命されたので、「財務」という名称になったのです。これは、間違いなく立派な信仰を続けてきた人の中から一口一万円で、年に一回、銀行振り込みの方式で出していただいている。決して強制ではなく、「財務」をするもしないも自由です。
その浄財で、会員のために、国内、国外に一〇〇〇以上の会館や施設を作ってきました。また世界での文化、教育の興隆や、平和運動の支援等にも使用しています。ともかく、戸田会長は、人事の乱れ、金銭の乱れは、一切を混乱させ、滅亡させてゆくといわれ、私たちは厳正に守っております。
なぜ創価学会は叩かれるのか
*九三年の細川内閣・羽田内閣の成立で、公明党出身閣僚が誕生した。また、「非自民連立内閣を仕切っているのはいわゆる一・一ライン(小沢一郎・市川雄一)だ」という声が高まった。自民党では、「民主政治研究会」(代表=島村宜伸)が創価学会公明党の勉強会を開催し、「憲法第二十条を考える会」(代表=亀井静香)が「創価学会のファッショ的体質を憂慮し、信教の自由を守る」立場から結成され、それに学者や文化人が加わって「四月会」(代表幹事=俵孝太郎〉が発足した。村山政権発足後に結成された新進党も、創価学会の影響力が批判の対象になっている。田原 昨年五月、四月会という団体ができました。宗教団体の代表や文化人の集まりで、「自らの観念、信仰に固執して他を排除しようとする勢力や、それと同調するものに対して厳しく一線を画する」といっています。この四月会をどう思われますか。
池田 何とも思いません。目的がよくわからないから。したがって、何も発言していません。まあ、向こうが一線を画しても、こちらは画してはいない。われわれは、日本が平和になり、日本人全部が幸せになれば、それでいいんですから。
田原 こんな会ができた理由はなんだと思いますか。
池田 こちらが聞きたいくらいです。心が小さいのでしょうね。焼き餅というか、「自分たちの勢力を維持したい」「新しい勢力の勃興をなんとか押さえたい」という利害からではないですか。
田原 四月会の人たちは、憲法二十条(「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」)を問題にしています。「公明党は、立法権という権力を行使している。これは憲法違反だ」というわけです。
池田 それは理屈のための理屈です。すでに内閣法制局長官の見解で明快に否定されたのではないでしょうか。また、他の優秀な憲法学者や世界的な学者がそういうことを論じていますか。選挙の自由、支援の自由、立候補の自由、結社の自由があるわけでしょう。だから、四月会のいっていることは、まったく的外れ、浅ましい限りだと、一級の学者はいっています。だから、そんな会を恐れもしないし、私が反論するつもりも毛頭ありません。
田原 四月会をはじめ、創価学会や公明党を批判する人たちは、「政教分離といいながら、実は政教分離していない。本当は池田大作の意向どおりに公明党は動いている。いわば、公明党は池田大作の操り人形だ」と思っている人が多い。この点はいかがですか。
池田 思うことは自由です。しかし、これだけの大勢の人々を自由に操れる人間なんて世界にいませんよ。落語みたいな話です。また、支援者が支持政党に意見をいったからといって、それが憲法違反になるのか、それが政教一致になるのか。そんなばかばかしい話はどこにもない。まったく社会通念に反する。
田原 昨年五月二十四日、羽田政権の時代ですが、衆議院の予算委員会で、亀井静香さんが、こんな質問をしています。九三年夏の細川内閣の発足時、池田さんは軽井沢で開かれた創価学会本部幹部会で、「公明党から大臣が出ようとしている。大臣は皆さんの部下です」と発言された。「これは公明党が創価学会に支配されている証拠だ」と。
池田 いい話じゃないですか。議員や大臣は公僕でしょう。主権在民だから、大臣より国民のほうが偉いのは当然だ。田原さんは、大臣のほうが上で国民が部下だと思われますか。大臣だって自分の選挙区にいけば、選挙民に最敬礼しているではありませんか。(笑)
田原 池田さんは「公明党閣僚は創価学会の幹部の子分だ」という意味で、そういったわけですか。
池田 とんでもない! 権力者のいいなりになっては絶対にいけないという意味だ。ともかく議員や大臣を先生よばわりして偉くさせすぎてはいけないと思う。いつも選ばれた人に威張られて、選んだ人がばかにされてはかわいそうだ。私は一生涯、庶民の味方として戦っているのです。
田原 当時、いくつかの雑誌が、もうやめたはずの、学会本部での出陣式をまだやっていると報じていましたね。
池田 いや、ないでしょう。
田原 間違いですか。
池田 間違いです。学会の何かの会合に、議員が挨拶に来たということのようですね。支持団体に挨拶に来ることは、自然ではないでしょうか。
田原 そういう報道がされるのは、「公明党は池田大作というカリスマ的独裁者に操られているに違いない」と思っている人が多いということだと思うんです。ご自身はどう思われていますか。
池田 意味がよくわかりません。
田原 では、なぜそんな悪口をいわれるんでしょうね。
池田 わからない。
田原 池田さんが偉すぎるからですか。
池田 よくわからない。書くと売れるんでしょうね。
田原 もうひとつ、宗教法人は非課税です。しかし、日蓮正宗から破門された創価学会は、もう宗教法人ではないから、課税しないのはおかしい、という意見があります。
池田 その議論は間違いです。課税するのであれば、全部の宗教団体を同じように課税すべきです。
田原 しかし、創価学会は日蓮正宗から破門されているから……。
池田 でも、学会はもともと独立した宗教法人です。
田原 しかし、日蓮正宗の信仰に従う前提での宗教法人であって、そこから破門されたらもう宗教法人ではないのではないですか。
池田 とんでもない。宗祖である日蓮大聖人を信仰しています。ゆえに宗祖直結の教団です。これが日蓮仏法の根本です。
田原 日蓮正宗は関係ないと。
池田 関係ない。日蓮正宗といっても一枝葉の宗派にすぎない。まったく筋違いの論議です。
田原 なぜそんなに創価学会は妬まれ、反発を食うんでしょう。
池田 日蓮大聖人もそうでした。釈尊も、法華経を広めれば「悪口罵詈(あっくめり)」されると説かれている。日蓮仏法にも「賢人・聖人も世間の留難はのがれず」とある。経文どおりに行じている証拠です。世界を見ても、ユダヤ教でも、キリスト教でも、イスラム教でも、想像を絶する迫害を受けてきています。
かつて、ある著名人が、「騒がれている間が花ですよ。善きにつけ、悪しきにつけ、騒がれるということは、大きく羽ばたいている姿です。だから風圧は当然大きい」といっていました。
田原 八〇〇万世帯という巨大宗教団体だから、反発を食うわけですね。
池田 そうでしょう。いまは軸のない歯車のような時代です。「あれになろう。これになろうと焦心るより、富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあげろ」という吉川英治の言葉がある。どう思われようが、どう見られようが、泰然と生きることです。時が一切を解決し、歴史が証明してゆくものです。
迫害は偉大な名誉であると仏法は説いている。叩かれないで、偉大な歴史を残した勇者は一人もいないでしょう。投獄、罵倒、弾圧、攻撃、それで生き抜いて、初めてその人は歴史的人物となり勝利者となってゆく。
公明党がなかったら楽だった
田原 ところで公明党が新進党に参加しました。ただし、参加したのは衆議院と改選される参議院の人たちです。参議院の非改選議員は「公明」として残り、参加しなかった。これは、公明党が二つに割れたということで、「創価学会は、新進党と自民党の二股をかけた」という論評が多いのですが。
池田 とんでもない。まったく関係ありません。大変な迷惑です。
田原 なぜ分かれたんですか。
池田 党の幹部に聞いてもらいたい。
田原 創価学会の名誉会長たる池田さんは、どういう感想をもっていますか。
池田 私は、イエスもノーも言わない。皆が立派に成長すれば、親元から巣立っていくものです。自由勝手にやっていいと思っています。
田原 私は新進党に入るよりも、公明党を解党したほうがいいように思いますが。
池田 そういう問題を論じられるようになれば、私だって気が楽ですよ。議員を出したばっかりに、「政教一致だ」とか、「権力を使って布教している」だとか、わが清純な創価学会が罵倒されている。私は自分でも大ばかだと思います。
しかし、私は会員を風雪から守る屋根だと思っている。これが、会長就任時からの信条です。たしかに、本当は公明党がなかったならば楽であったに違いない。
田原 公明党さえなければ、池田さんが攻撃されることもない。創価学会批判も、公明党があって、政権に参加したり、新進党とくっつくから出てくる。解党してしまえば、批判も出てこない。
池田 そのとおりです。だが、私が発言すれば、すぐに「政教一致」と大騒ぎになることは明白です。
田原 解党すれば布教もしやすい、と。
池田 しかし、そんな後ろ向きの議論をしても仕方ない。だから、論ずる必要もないし、時代の流れにそっていけばいいと思う。あとは、党が党として、どう舵をとるか、です。
田原 ところで、新進党の小沢一郎代議士に会ったことはありますか。
池田 ありません。
田原 小沢氏をどう評価していますか。
池田 牧口初代会長の遺言に、「認識せずして評価するな」という一節があります。会いもしないで軽々と論ずることは失礼ですし、噂や風評で人を判断することは危険だ、ということです。しいていうならば、人心の機微のわかる、和を重んじる政治家であっていただきたいですね。
なぜ世界に出掛けてゆくのか
田原 今後の創価学会の目標はなんですか。
池田 世界に仏教の思想を広めることです。
田原 外国の創価学会の会員と日本の会員と違いはありますか。
池田 言語や民族が違っても、心というものは通じ合うものです。兄弟のようなもので、違わないですね。
田原 仏教だから、アジアのほうが広めやすい、ということはありますか。
池田 アジアはかえって難しいですね。小乗仏教の国もありますし、それに日本のアジア蔑視もあって、日本に対する眼も厳しい。だから、とくにアジアに対しては、信義を重んじ、絶対約束を破らないようにしています。こういう原理原則を踏まえていかないと反発を受けます。
田原 池田さんは世界の学者・政治家によくお会いになっていますね。
池田 著名な方とは、かなり会っています。周恩来、鄧小平、江沢民、リー・クアンユー、スハルト、マハティール、ラジブ・カンジー、また国連のガリ、デクエヤル。さらにミッテラン、サッチャー、ヴァイツゼッカー、ハヴェル、ムバラク、コスイギン、キッシンジャー、ガルブレイス、ペッチェイなど、数多くの方々と平和のために対話してきました。
田原 とくに印象に残った人は。
池田 周恩来ですね。亡くなる一年前にわざわざ病院に呼んでいただき、「世紀末最後の二五年間、中国にとっても世界にとっても一番重要な転換期になると思う」と語られました。名優のごとく、言葉がわかりやすく、しかも深い。鋭さと温かさがある。ご夫妻の遺品もいただいています。
私は一度接した人たちには、信義だけは完璧に重んじていきます。ゴルバチョフとの対談は一年間連載します。その次は、南米チリの民主化の指導者エイルウィン前大統領と予定しています。対談集は、その国のためにも残りますからね。世界人権宣言を推進した、ブラジルの人権の父アタイデ氏との対談集も、先日完成しました。その他、平和学の創始者ガルトゥング博士など多くの学者とも、時間を見つけてはやっています。トインビー博士との対談は、一八の言語に翻訳されました。
戸田会長は「常に二〇〇年先を考えて行動せよ!」といわれた。また、「お前の舞台は世界だよ」と指導を受けてきた。本来、宗教の延長は、文化・平和・教育になるものです。そこに連動していかなければ、「人間のための宗教」ではなくして、「宗教のための宗教」となってしまう。ゆえに、この歴史的大河の流れにそって、創価学会は歩んでいきます。
二〇年くらい前、ある財界の首脳と懇談したときにも、「このままゆくと、日本は経済侵略呼ばわりされ、排撃される。文化・芸術の方面で手を打たないとまずい」という結論に達しました。その意味からも、ハーバード大学、ボローニャ大学、フランス学士院など、一流の知性の舞台で二十数回講演してきました。先日もハワイの東西センターで「平和と人間のための安全保障」のテーマで行ないました。今後の依頼も、南アフリカのマンデラ大統領が総長を務めるノース大学、またネパールの最高学府・国立トリブバン大学など、多数来ています。
これも自分のためや、自分の会のためではない。講演料をとっているわけでもないし(笑)。海外の識者は鋭いです。仏法は、いわば日本文化の精髄ですから、そのスピーチは日本への理解を深めます。
また、国連の支援や、それぞれの国に尽くしていることに対して、数々の賞を受けております。たとえば、グラスゴー大学、モスクワ大学、北京大学、フィリピン大学などの名誉博士・名誉教授の称号は三一。名誉市民も七〇を超えております。
これからも、時間の許すかぎり世界へ行く決心です。それが私の責任と使命だと思っておりますから。
【『中央公論』1995年4月号】
追記
このインタビューが実際に行われたのはいつのことなのか。記事が公開されたのは95年の4月号であるから、雑誌が店頭に並んだのは公式発売日の3月10日以降のはず。95年には、1月17日に阪神大震災が、3月20日に地下鉄サリン事件が起こっている。オウム真理教がかかわった後者についてはともかく、震災に関してもまったく触れられていないので、おそらく94年の暮れ近くの取材ではないかと推察される。
同時期にもうひとつ、創価学会に対して長期にわたる取材を敢行していたグループがあった。
95年7月に「別冊宝島」シリーズの一冊として刊行されることになる、『となりの創価学会』の執筆者たちだ。彼らも本の目玉となるはずの、池田氏への直接インタビュー実現に向け躍起となっていたが、交渉相手であった学会広報室次長と称する人物は、言を左右し、池田氏を取材者の前にさらすことを頑なに拒否していた。そんなスッタモンダを繰り返している最中に田原氏のインタビュー記事が中央公論に掲載されたのだ。宝島社の関係者らが色めき立ったであろうことは想像に難くない。その辺りの顚末については同単行本巻末の「編集日誌」で明かされている。
震災とオウム事件の陰に隠れて、このインタビューはさほど注目を集めることにはならなかったようだ。だが、池田氏が表舞台から姿を消した20年後の現在、すっかり与党暮らしが板についてしまった学会公明党はこの先どこへ向かうべきなのか。それを考えるためにも、絶版となってしまった宝島社の本(図書館やネット古書店では入手可能。ただし初版の単行本に限る。文庫化されたものはカット部分が多すぎて、資料的価値は低い)と併せて、今こそ池田・田原対談を読み解く意味はある、と思う。
([1]はこちら)
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by ana_dra
| 2016-02-22 21:39